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彼女の福音
漆 ― 虚構の世界で僕らは会う ―

 

「じゃあ、パパとママとアッキーと早苗さんによろしくね」

「うんっ」

 汐ちゃんは元気良くうなずくと、古河パンの裏口に駈け出して行った。

「あ〜もう、ほんっっっっとに可愛いんだから」

 あたしは緩み切った頬でため息をついた。

 汐ちゃんはあたしや椋、朋也の同級生、古河渚の三歳の愛娘だ。見た目は母親そっくりなんだけど、あのお転婆ぶりはどう見てもアッキー、もとい秋生さん譲りだろう。渚はもともと体が丈夫じゃないから、汐ちゃんを生んだ後、長い間休養していたから、その間の面倒は汐ちゃんの祖父母である秋生さんと早苗さんが見ていた。

「杏ちゃん、こんにちは」

「やっほー渚、元気してる?」

 店からエプロン姿の渚が出てきた。後ろには汐ちゃんがはにかみながら渚のスカートを握り締めていた。汐ちゃん、あなた可愛すぎよ?

「今日は本当にありがとうございます。お父さんもお母さんも、今日は出かけてて」

「ありがとーございます」

「はい、どういたしまして」

 すると、渚がエプロンのポケットから数枚の紙切れを取り出した。

「あの、杏ちゃんぜひよかったら、これ……」

「あら、何それ」

「悠馬君の劇団が、来週の週末に光坂高校で公演するんで、もしよければ、って」

 悠馬さんは渚のご主人で、汐ちゃんのお父さんだ。本業は大学の講師だが、趣味でアマチュアの劇団の役者をやっていて、高校を卒業した後も演劇に興味を持っていた渚とそこで出会ったらしい。

「忘年会で皆さんと会った後、少し忙しくて寂しかったから、杏ちゃんが迷惑じゃなかったら、皆さんに召集お願いできますか」

 うーん、とあたしは唸った。

 ちょっと前、と言っても去年の話だが、何を血迷ったのか朋也は通信教育を始めて、今は電気工と大学生の二足の草鞋をはいている。しかし何と、と言おうかやっぱり、と言おうか、進学校の落ちこぼれだった朋也に経済学なんて難しすぎるわけで、だから時間がある時は智代と一緒にうんうん唸りながら勉強をやっているという感じだった。残念だけど、あの二人はパスかもしれない。

 ことみは未だに太平洋の向こう側だし、まあ椋と勝平は来れるだろう。

「風子とかはもう呼んだ?」

「はい。芳野さんと公子先生もいらっしゃいます」

 するとあたしを入れてもやっぱり一人分チケットが余る。となると……

 

 

 

「何で何かあると毎度毎度僕が呼ばれてくるんですかねぇ……」

 陽平が仏頂面で不満を漏らした。

「すみません、せっかくの休日を私なんかのために……」

 渚が申し訳なさそうに縮こまる。

「あ、いや渚ちゃんが悪いんじゃなくてさ。僕を呼びつけた張本人に対して不満があるわけなんだけど」

「いいじゃないの、どうせ暇だったんだし」

「言っとくけどね、僕は暇なんじゃないんだよ?休場っていうの。時々思いっきりのんびりしていたいの。だから勝手に暇って決めつけるなよ」

「そんなんだからいつまでもヘタレって言われるんじゃないの。あと、休場じゃなくて休養ねそれ」

「細かいところで突っ込まないでほしいだけどっ!」

「あ、ごっめ〜ん、まだ人間の言葉は難しかったかな、奇跡の人外生物春原」

「いや人の言葉わかるよっ!って、奇跡の人外生物って何だよっ!」

 くわっと春原が目を見開いた。するとそこに

「もうそろそろ始まる。静かにしろ」

 スパナが後頭部にクリーンヒットした。芳野さんっていつもスパナ持ち歩いてるのかしら……どこに?

「いや、杏もどっかにアンサイクロペディア・ウィキペディア持ち歩いてるじゃん」

「インターネット上の百科事典なんて持ってるわけないじゃないの」

 ずっこーん、と陽平の頭をエンサイクロペディア・ブリタニカでぶっ叩く。

「だからそれ、どこから……」

「乙女の秘密よ」

 その時、ジリリリリリリとけたたましいベルが鳴った。開幕の合図だった。

 全てのライトが消える。そしてぼんやりと舞台の上にスポットライトが照射される。

「あ、悠馬君です」

 舞台に背の高い男が現れた。ここからじゃあまり見えないけど、感じとしては秋生さんを若くした、といった印象を受ける。

 悠馬さんは舞台の中心に立つと、悩ましげなポーズを取り、決め台詞を言おうとしたその時

 

 

ぴるるるぴぴ ぴるるるぴぴ

 

「ちょっと、誰の携帯よ!」

「あれ、この着信音、僕の……ぶはへっ!」

 陽平の顔面に英和辞典がのめり込む。

「せめてマナーモードに切り替えておきなさいよ!」

「あ、違います。これはいつものお遊びです」

「え?」

 舞台を見ると、悠馬さんがあわててポケットを探し、携帯を取り出すと、何度か落としながら通話ボタンを押した。

「はいもしもしぃ……あ、携帯電話をお持ちのお客様、団長からの伝言です。『やいやい、芝居を見るからには携帯の電源は切っとけ』とのことです。お騒がせいたしましたぁ!」

 笑いと拍手に送られて、悠馬さんは舞台の端に消えた。

「何だ、そうだったの」

「杏、どうでもいいけどこれなんとかして」

「あ〜ら陽平、そっちのほうが顔、ハンサムに見えるわよ?」

「え、そ、そう?」

「うん。ようやく人間に見えてきたって感じ」

「そうかなってぇ、僕の顔は人間の顔だよごはぁ?!」

「芝居は静かに見ろ」

 芳野さんがスパナをデニムジャケットの胸ポケットにしまいながら言った。

 

 

 それは、不思議な話だった。

 交通事故で昏睡状態になっている主人公を、彼の夢の中の住民たちが一致団結して意識を取り戻させるため、彼に最初に好かれた後一人ひとりいなくなることでこの世界に嫌気がさすよう演技する、という話だった。最後のシーンで全てを知った主人公が、悲しみながらも強く胸を張って、現実世界に歩きだそうとした時に、夢の中の世界の住民たちが泣きながらも彼を祝福するところで、あたしは恥ずかしいけど少し、じんと来てしまった。泣いたわけじゃないけど、やっぱり涙が一滴落ちてしまった。

「素晴らしい話でしたね」

 体育館を出て、公子先生が最初に感想を言った。

「愛だな」

「愛……ですか?でも恋愛シーンとかは特になかったけど……」

 芳野さんの呟きに、勝平が反応した。

「しかし彼らは愛で繋がっていた。だからこそ最後にあんないい別れができた。そう、よく聞いてくれ若者たちよ、この世で一番重要なもの、そう、それは」

「ねぇこの後みんなどうすずばへっ」

 芳野さんの決め言葉を邪魔した陽平にスパナが突き刺さった。

「……興がそがれてしまった」

「そんなことないよ祐君。かっこよかったよ」

 真っ赤になる芳野さんの傍らで、別の意味で真っ赤になっている陽平がいた。スパナを抜くと、また奇声を上げた。

「肝心の決め言葉邪魔しないの」

「杏も見ただろ?僕の見事なインターハイ?」

「インターセプトの間違いなんじゃないそれ?あたし前っから言いたかったんだけど、あんた横文字間違えるのやめたら?本当に人語わかってないように見えるわよ」

「余計なお世話ですよーっと」

 

ぷち。

何だかよくわからなかったけど、今のでブチ切れた。

 

「ねぇ陽平」

「何だよ」

「今日の列車賃、払わなくていいって言ったら、あんたどう思う?」

「え?まじ?」

「あたしがそんなのどうにかしてあげるって言ったら、どう思う?それとも余計なお世話かしら?」

 勢いよく首を横に振る陽平。

「全然。むしろ大歓迎って感じ?」

「そう。じゃあね」

「え?じゃあね……?」

 次の瞬間、あたしは広辞苑を思いっきり振りかぶると、陽平の腹にのめり込ませた。ぶっ、と体を屈めたところを、思いっきり蹴り飛ばす。そして高度六千フィートに達したところで、さっきの広辞苑を投擲した。よし、ジャストミート。

「汚い花火ね……」

 

 

「それは残念だったな。私も古河さんとも話をしたいしな」

 すぅっと紅茶を飲みながら智代が笑った。

「ちょっと智代、大丈夫?この頃寝てないんじゃないの?」

「ん……まあ、確かに夜更かしが過ぎるな」

「どうしたのよ?睡眠不足はお肌の敵って知らないあんたじゃないでしょ?このままじゃ、朋也はお肌のぴちぴちした女の子に移っちゃうわよ」

「それは困るな。そうしたら私はどうしたらいいのかわからなくなる」

 おかしい、と思った。智代は昔から女の子らしさにおいて少し敏感すぎるほどに気を遣う。朋也と付き合い始めてからなおさらそうなった。だからこういうちゃちゃをあたしが入れると、大抵は「そうか、やっぱりいくら頑張っても私は肌のガサガサな魅力なしか」とか言って面白いほどに落ち込むのだが、今日はそれをさらりと受け流しているように見えた。

「智代?」

「ん?」

「あんた本当に智代よね?」

「失礼なことを言うな、杏は。私をそう疑うのなら、杏が一体どこに辞書を隠すのか朋也に教えてあげてもいいのだが?」

「お願いそれだけはやめて、本物さん」

 智代にしか教えていない辞書の隠し場所。こればかりはいくら古い仲間の朋也でも教えるわけにはいかない。ちなみにあたしはお返しに智代からパンツを見せずに連続キックをやる秘密を教えてもらっている。

「何だってそんなに寝てないのよ」

「朋也の勉強につき合ってると、結局は夜遅くまで過すことになる。全く、しょうがない奴だ」

 そう言いながら智代はうれしそうに笑った。

「朋也が勉強ねぇ……あたしもちょっと信じられないわね。まあ智代がいるんだから大丈夫だけどね、それでも少し息抜きが必要なんじゃないの?」

「息抜きか……」

「機会があったら、またみんなでどっか行きましょ」

「そうだな」

 ふふふ、と笑いあう。

 

 

「そう言えば」

 喫茶店を出てから智代が思い出したかのように言った。

「何で最後に春原を蹴り飛ばしたんだ?」

「何だかね、余計なお世話ってのがカチンて来たのよ」

「……妙だな」

「え?」

「いつもの杏なら、そんな一言もさらっと流せるのにな」

 そう言えばそうだった。あれ、どうしてだろ?

「まさか杏……」

「な、何よ」

「友人として聞きたいんだが、あれの世話を焼くのが楽しくなってきてるわけじゃないだろう?」

 本日の爆弾発言大会は、岡崎智代の文句なしの勝利のようだ。

「なななななななな……」

「七が四つで二十八だ。で、どうなんだ?」

「違うに決まってるでしょ!」

「そうだな、うん。ふふふ、すまない、変なことを聞いてしまった」

「お〜ほっほっほ、面白い冗談だったわよ」

 そうやってその日は別れた。

 

 でも、どうして本当にあの一言が神経を逆なでしたんだろう。そればかりは、まだわからなかった。

 

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